とりあえず文をたくさん書くリハビリ

小学生の頃に、右腕を骨折したことがある。

小さい頃の自分は、多少という言葉では足りないくらいに行動力溢れる少年で、その日も自分らしさを遺憾なく発揮したらしい当時のボクは、鉄棒の上で逆立ちをするという暴挙に出たあげく、ついには重力に負けてぺちゃんこに潰れてしまった。そしてその時に右腕を骨折してしまったという訳。

かくいう訳で、痛々しいギブスを相棒に2か月もの日々を過ごすことになってしまった自分は、当初は右手が使えないという不自由さと外で遊べないという精神的鬱積感に、辛抱たまらん状態だった訳だが、しばらくするとそれなりに有意義に時間を活用できるようになってきた。即ち、ゲームと読書によって。

思えばあの2か月が自分が本の虫になった切っ掛けだった…………なんて展開では全くなくて、当時既に図書館通いだったボクは、ジュブナイル系統を主軸に様々なジャンルの冊子を読み漁っていた訳だが、しかしまあ小学生というのは金食い虫ならぬ時食い虫で、あれほどまでに自由な時間を与えられながら読書に充てられる時間などというものは殆ど無い。有り余る自由時間の多くは友人宅でのゲーム、サッカー、三角ベース、ミニ四駆ベイブレード、カードゲーム、エトセトラ……に充てられる訳で、その中で暇を見つけては図書館へ通って「ヨースケくん」とか「でんでら竜がでてきたよ」とか「ズッコケ3人組」とか「ブラッカブロッコ島」とか、とにかくアホみたいにジュブナイル小説を読んでいたボクはやはり読書家を名乗っても恥ずかしくない程度には本に近しい生活を送っていたとは思われるのだが、それにしたって読書に充てる時間は足りなかった。現状から考えると当時の自分はかなり贅沢な悩みを抱えていた訳だが仕方がない。当時の自分には「足るを知る」という概念はなかった。飽食の時代だった。食べるのは時間だけど。

話を戻させてもらうと、つまりはボクは、図らずも骨折によって自由な時間を手に入れることになったのである。ギブスを付けたままではサッカーや野球、鬼ごっこ等に参加するのは不可能だし、片腕が使えない以上、友人宅でボンバーマンやマリカをすることも出来ない訳で。小学生というのは現金なモノで、通信ケーブルを持っている、みたいな理由で遊びに誘うこともあれば、逆に自分みたいに骨折していて一緒のリズムで遊べない人間はそもそも誘ったりしない。難儀なモノだ。まあいい、そうして浅はかな友人と引き換えにフリーダムな時間を手に入れたボクは、骨折が治るまでの2か月をほぼ全ての時間をゲームと読書に費やしたのであった。

具体的に何をしていたか、と言われると10年以上前の話なのでそんなに明確に覚えている訳ではないのだが、まずゲームから言ってしまうと、ドラクエ天空シリーズ、すなわちⅣ・Ⅴ・Ⅵの3作はこの時期にクリアした、と思う。RPGというのはどんなに少なく見積もっても30時間はかかるものなので、3作で大体100時間を費やした事になる。あと、ポケモン銀の1匹クリア縛りもこの時期にした記憶があるし、デジモンワールドをクリアしたのもこの時期かも。これらのゲームはおおよそアクション要素が無かったので、当時右腕にギブスを嵌めていた自分でも無難にプレイでき、ひいてはその後の自分のロープレ好きのトリガーとなった感も否めない。
で、読書のほうでは、デルトラクエストナルニア国物語といったハリーポッターの二番煎じ的作品群、星新一、ああ!あと忘れてはいけないのは「キノの旅」。当時、発売からそんなに時間の経っていないキノの旅がなぜ田舎の図書館に置いてあったのかは未だに謎だが、恐らく職員にラノベオタが一人交じっていたのだろう。彼に向かってこう言いたい、「おうテメーのせいでいたいけな小学生が一人ボクっ娘スキーになってしまったぞ」と。(そういえばこの〇〇スキーという表現も死語になって久しい)

そんな訳であの骨折は振り返ってみれば現在の自身の性向にかなり関与している訳で、逆に言ってしまえば、あの時鉄棒の上で逆立ちをするなんて血迷った行動をしなければボクは世間的に見てもう少し真っ当な性格に育っていた可能性もかなりの可能性である訳で、まあでもたとえ世間が今のボクの性格を疎んじていようともボクは自分の性格が結構好きなので、あの頃骨折して良かったなあ、なんて遅まきに思っていたりする。

ギブスという名の装備に中二心を刺激され、周囲の人間に自慢げに見せびらかしていたのはまた別の話。