大勢の中の一人

久々に仕事でミスをした。
客観的に見てかなり傷の浅いミスなのだが、自分が予想以上に精神的に凹んでいるので、どうしたものか、と動揺している。

ミスはだれにでもある。これは自己弁護の為に生まれた妄言ではなく、自明の理である。人間は未完成な生物なのだ。だから、ミスをするのもある意味仕方がない。ゆえに一つ一つの細かいミスにいちいち心を凹ませるのは不毛だし、何より精神衛生上よろしくない。QOLが著しく低下してしまう。
……と、ここまで頭では理解しているにも関わらず、一方では小さなミスに想像以上に心を揺るがされている自分もいるのだ。

小さなミスひとつでどうしてここまでメンタルがやられているのか。思うに、ボクに完璧主義の気があることに起因しているのだと思う。
この完璧主義という一面は確かに昔から自分の中にあって、けれどもボクはそういう自分があまり好きではなかったので、普段は意図的に「ルーズでユルい性格」として振る舞っている。実際周囲の人たちからどう見えているかは別として、だけど。
けれども実際のところ、元々の自分には完璧主義的な一面があるので、時折今日のようにメッキの性格が剥がれてしまい、本来の自分、つまり、完璧主義の一面が底を見せてしまうのだと思う。

完璧主義という性格は、かなりやっかいだ。完璧という名前がついているから一見華々しい性格のように見えるけれども、言ってしまえば自ずから望んでオワタ式縛りをしているようなモノだ。簡単に言うと、打たれ弱い。
打たれ弱いからミスを恐れ、つまりは挑戦を恐れ、結果的に完璧からは程遠い位置に飛ばされてしまうのだ、知らず知らずのうちに。
そういう訳で、完璧主義の人間は、完璧主義ゆえに完璧ではない。言ってみれば当たり前の事だけれど。
逆に骨太な性格の人間はミスを恐れないから、沢山挑戦を重ね、ミスと引き換えに様々な物事を経験することが出来る。こういう人間は失敗を糧にし、成功の礎とする事が出来る人間だ。


自分は完璧主義だが、完璧ではない。完璧主義ゆえに完璧ではない。
それを受け入れて、自分という存在を矮小に感じる事が出来た時、自分は完璧主義ではなくなるのだと思う。そうすれば、小さなミスにメンタルがやられることもなくなるだろう。