当事者になれない

職場から帰る途中で、偶然告白の現場に遭遇してしまった。
告白とはいっても、男女ともに自分と同じくらいの年――つまり20代前半という感じの出で立ちだったから、「す、好きです!」みたいな、衝動的で若々しい告白ではなかったけど。

電車の待合室。隣同士のベンチに座った二人がおもむろに手を重なり合わせて、

「……好きなんだ」
「そう…………わたしも」

みたいな、なんだろう、こう、てめえら幸せ独占しすぎて独占禁止法引っかかるんじゃねえか、的な、甘酸っぱい感じの告白だった。

で、自分はそれを見ながらサンデルの「それをお金で買いますか」を読んでいた訳。
行き過ぎた市場経済が社会に及ぼす悪影響について語っている本だったけれど、若い二人の告白をBGMに読むにはちょっとばかりお堅い本だった。
サンデルは「お金で買えないモノはない」みたいなことをのたまっていた訳だが(まだ途中までしか読んでないから間違ってたらすまん)、どっこい世界はまだそんなに汚れちゃあいない。現に一つ、すぐ目の前にあるじゃないか。お金では決して手に入らないモノが、ね。




それにしても、どうしていつも自分は当事者になれないのだろうか。
いや、理由は分かっているんだけれども。

いつも斜に構えているから、自分は決して当事者にはなり得ないのだ。
他者の批判が及ばないところから一方的、俯瞰的に幸せについて講釈たれるのは勝手だけれど、自分自身が本当に幸せを掴みたいのなら、まずは空を飛ぶのを止めて、自分の足で歩く必要があるのだろう。
とはいえ、そこまで分かっていながら未だにプカプカと宙に浮いている自分なので、もしかしたら自分は恋愛には向いていない性格なのかもしれない。