偏りすぎるのは良くない

思想も栄養も人間関係も、何にせよ偏りすぎるのはあまり好ましくないと思う。

偏りすぎると、世界を客観視することが難しくなると思うし、自分の人間としての幅を狭めてしまうと思うからだ。

 

自分の場合、とくに知識を得る際には、吸収する知識が偏らないように気をつけている。

知識の偏りは思考の偏りにつながり、思考の偏りは思想の偏りにつながり、思想の偏りは行動原理の偏りにつながると思うからだ。

行動原理が偏ると世界を多面的に捉えることが難しくなるので、自ずから世界の可能性を制限してしまう。端的に言えば、世界にあまねく落っこちている「楽しみ」を拾い集める機会を奪ってしまう。

それは自分にとって損だと思うし、勿体ない事だと思うのだ。

 

 

だから、本屋へ行ったときには出来るだけ様々なジャンルの本を買うことにしている。雑多に読むことを楽しむようにしている。

哲学やラノベといったジャンルはそもそも自分が読んでいたジャンルの本では無かったけれど、大学時代からちょくちょく読み始めるようになって、今となってはこれらのジャンルを読み始めて本当に良かったなあ、と思っている。

哲学やラノベを読み始めなければ、スピノザに共感することも比企谷小町ちゃんに萌えることも無かったと思うし。

方法序説」「存在と時間」といった哲学書、「プシュケの涙」「猫の地球儀」のようなラノベにも出会えていなかっただろうし。

 

その他にも、SFも推理小説も一般文芸も読むし、web小説も漁って読んでいるので、自分は読書を幅広く楽しめてるほうだと思ってる。

 

 

逆にあまり読まないのは、純文学とハウツー本かなあ。

純文学はあまり面白くない。太宰はラノベみたいな文体で好き。

ハウツー本は正直なところイメージだけで敬遠している。ただこの前読んだ「知的複眼思考法」はなかなか楽しんで読めたし、自分にとっての宝がザクザク掘れそうな予感はあるので、そのうちスコップしたいとは考えている。