本当に大切なモノは目には見えないらしい

フランスのえらい作家さんが言ってました。

 

つまりだ、視力が両目で0.1くらいしかないのに何故か裸眼で過ごしているボクも、無理してコンタクトとか眼鏡を使用する必要はないって訳だ。

 

どうしてこんなにも目が悪いのに裸眼でいるかというと、それはそれはのっぴきならない理由が存在するようで存在しない。存在しないのだ。

 

 

知人に

「なんで眼鏡かけないの?」って聞かれた時には

「本を見る時に視界が狭まるから嫌なんだ」とか言って、俺は文学青年なんですアピールをしているし、

 

「なんでコンタクトしないの?」って聞かれた時には

「日々のランニングコストを増やすよりは、そのお金を使って自分自身に投資したいかな」とか言って、意識高い俺KAKKEEEEEEEEしてるし、

 

知人に「なんで裸眼なの?」って聞かれるときには

「ありのままのセカイが見たいんだよ、ガラス越しなんかじゃなくてね(暗黒微笑)」みたいなキッモイキッモイ返答をして困惑の極地にいざなっている訳なんだが、

 

 

ようするに理由は存在しないのだ。

あえて言うならば、そこまでして眼鏡やコンタクトに代える理由が見当たらない、ってところか。

 

たしかに、遠くが見えなくて困ることとか目が掠れて疲れることは、少々というには多すぎる程にあるのだが、生きる上でちょっと辛い事があったからといって即座に「よし、じゃあ死のうか」とはならないのと同様に、多少目が疲れたところで「よし、じゃあ眼鏡買うか」とはならないのさ。

そこ、詭弁って言わない!

 

 

けれども、本当に現状に満足しているのなら、そもそもこんな記事は書いていない訳であって、つまりは視力の低下に伴う不便がそろそろ閾値を超えそうなのである。

 

 

 

眼鏡にするかコンタクトにするか……

悩ましい問題。こりゃ、もうしばらくは裸眼だな。