レーベルにレッテルを貼る滑稽さ

ある友人が読書に嵌っているようで、なにやら難しそうな本を色々と読んでいるようだ。
地下室の手記」「タイタンの妖女」あたりはボクも手にしたことはあるが、「異邦人」とか「魔の山」あたりは読んだことがない。

その友人は音楽畑で育ってきた人間で、音楽に関して言えば、大学時代からアホみたいに古今東西の楽曲を聴いていて、自分でもバンドを組んでギターボーカルをやっている位には音楽に傾倒していて、ときにはボクの感性にあいそうな曲を紹介してくれる心優しき人間なのだが、文学界隈に関して言えば全くの素人(本を読むという行為に素人も玄人もないわけだが)な訳で、それでいて上述のような難しそうな小説を読んでいるものだから、消化不良になって逆に本がキライにならないか心配なのである。

文学界隈には権威主義的な価値観が蔓延っていて、はっきり言ってしまうと、ボクはそういう風潮が大嫌いだ。そりゃあ、遥か昔に書かれたモノで現在まで名前が残っている作品というのは名作だと思うのだけれど、それは言ってしまえば「ファミコンの名作」くらいの意味なのであって、そのままそっくり、現在にも通用する名作という訳ではないだろう。
小説を読みなれていない人に古典文学を勧めるというのは、ゲームに興味がある小学生にファミコンの名作ソフトをやらせるようなモノで。小学生からしたらそりゃ3DSなりPS3をやらせろってなるだろう。ボク個人としては、レトロゲーに手を出させるのは最新ゲームを飽きるほどやった後で良いんじゃないか?なんて思ったりする。
同様の理由で、小説に興味を持ったばかりの人に勧める作品としては、有川浩とか三浦しをんあたりの一般文芸でも最も読みやすい部類に入る作家や、あるいは売れ筋のラノベあたりを勧めればいいのではないかな、と思う。
そりゃあ、人によって小説に求める物は違うと思うので、そのあたりの方向性は合わせる必要があるとは思うけれど。恋愛の物語を楽しみたいと思ってる人にソードアートオンラインを勧めるのは絶対違う訳だし。(その場合、ボクなら「理由あって冬に出る」とか「とある飛空士への追憶」あたりを勧めたい。相手が女性なら「塩の街」とか「初恋彗星」あたりが良いんじゃないか)

まあつまりは、読書なんてそんなに高尚なシュミじゃないだろう、という主張だ。会社の同僚とか同期に読書が好きという話をすると「頭良いんだね」的な返答をされることが多いのだが、言ってしまえば「テレビを見るのが好きです」「ゲームをするのが好きです」というのと全く同じじゃないか。

ただまあ、世の中にはドヤ顔したいという理由だけで難しそうな本に手を出すような人間も一定数いるらしいのだけれど。世の中には実に様々な人間がいるものだ。