今日も上司にアルカイックスマイル

前回の記事から骨折繋がりで書かせてもらうと、時々「いっそ骨折してえなあ」なんて若干自傷的な考えに捉われることがあるのだけれど、これは別にボクがMであることに起因している訳ではなくて、いや自分はSというよりかはMに若干偏っていることに変わりはないのだけれどそれはそれとして、「痛み」その物を望んでいるのではなく、「言い訳」としての骨折を望んでる節があるのである。簡単に言ってしまえば「まあきみは骨折しているのだから仕方ないよね」という感じの、ああいう、弱者を相手にしたときの世間のあの対応が欲しいのだ。つまり、まあこれは骨折の原因にも依るのだろうけれど、仮にボクが偶然によって骨折した場合、世間の大抵の人間は「可哀想だなあ」的な視線で見つめてくれるだけに留まらず、「じゃあ、骨折してるから働けなくても仕方がないよね」となるのである。ボクが欲しいのはこれである。付随して纏わりついてくるであろう同情の視線は別に必要とはしていないどころか、むしろボクの中に僅かに存在する後ろめたい気分を逆撫ですると思われる。
生存競争の観点から見れば、怪我を負った個体というのは集団から見放されて当然な訳だが、生物の霊長たる我らが人間様は、膨大な税収を背景にした膨大な社会保障費を背景にして、弱者救済という正義のシュプレヒコールを掲げてやまない訳で、つまりは弱者にとってはとても居心地のいい世界を構築してくれている。そりゃあもう、ある意味では健常者よりも居心地のいい世界を。
お陰様でボクのような身体の脆弱な、けれどもあくまで健常者に属する人間は、自身が暮らしていく以上の労役を間接的に課せられている訳だから、正直あまり居心地が良くない。今の仕事では職業柄、精神障害者身体障害者知的障害者とコンタクトを取る機会がそこそこ多く、だからこそこんな(世間的には)歪んでいる価値観に捉われているのかも知れないけれど、けれども彼ら彼女らが「障害」というハンデを盾に様々な公的サービスを受け、仕事三昧でさっぱり読書の時間も取れない自分よりも有意義な生活を送っているのを見ると、正直たまにヘコんでしまう(勿論、彼ら彼女らがボクの貧弱な想像力では思い付きもしないような様々な困難に日々直面しているであろう事は分かっているつもりなのだが、それでも)。まあ仕方ない、仕方ないのだ、彼らは障害者だから複雑な作業、タフな作業は出来ないし、身体も万全ではないので長い時間働くのは難しいだろうし、けれども社会というのは誰かが回転させる必要があるので、ボクのような何の障害も持っていない人間が頑張って働かなければいけないというのは頭では重々理解できるのだけれど、それでも時折ふと思ってしまうのだ、何故自分ばっかりこんなに、と。こんなんなら、いっそ弱者サイドになった方がいいんじゃないか、なんて禁断の発想に至ってしまうのだ。
そんな訳で、最も手っ取り早く弱者になる方法としてはやはり「骨折」が一番だろうとボクは思うので、そんな思いを拗らせて冒頭のような一見ドMにしか聞こえない主張にたどり着く。
骨折というのはフツウはなんの後遺症もなく治るし、それでいて数か月は安静にする必要が社会的に認められているので、強者であることに疲れたボクが休養と気分転換を兼ねて弱者になる手段としては限りなくベストに近いと思う。さらにピックアップするとすれば、足の骨折がベスト。松葉杖を突いて歩いている様子は見るからに痛々しく、周囲の人々の「仕方がないよね感」を誘いやすいし、だれも働けなんて言わないだろうし、両手は空いている訳だから、怪我が治るまでの数か月間は読書三昧さ。ひゃっふう、考えるだけで楽しくなってきた。加えて一日中ベッドの上で自堕落に過ごしていても誰も文句は言わないし、「たまには外にでも出てみたら?」みたいな小言もないし、病院は天国に近いなんて言われるけれど、実際は病院自体が天国なんじゃないかと思える程度には楽しい日々が送れそうだ。


なんて事を考えている時点で自分はだいぶ精神的に病んでるのかもしれないが、あと数週間頑張れば仕事もひと段落つくのでとりあえずそこまでたどり着きたい。GWの輝きだけを頼りに。