書を捨てよ、旅に出よう

十年一昔という言葉があるけれど、額面通りに受け取るなら、ボクの小学校時代は既に一昔前のモノに成り果てている。そうして3年後には中学時代が、6年後には高校時代が、10年後には今この瞬間自体が一昔前という概念に成り果てるのだと思うと、自分が壮大な時空の大河のなかにいるような気がして、どうにも不思議な気持ちになる。人生というのは進むときには長く険しい道だが、振り返った際にそこにあるのは、恐らくは歩んできたときよりもずっと短くて平坦な道だ。今この瞬間ボクを悩ませている数々の彼是も、未来の自分が振り返った際には、路傍の石ころのようなちっぽけな存在に変化しているのだろう。そう考えると、諸行無常のあまりになんともやるせない気分になるが、ポジティブに考えれば、悩みというのは大抵は一過性のモノで、一度喉元を過ぎ去ってしまえば何ともない種類の感情なのだろう。そうして喉元を過ぎ去ったあとに残るのは、美化された思い出だけ。嫌な記憶が消えていい思い出だけが残る訳だから、過去が今よりも魅力的なのは自明の摂理なのかもしれない。過去とはつまり、濃縮された現在である。考えてみれば、ボクは昔から過去を美化するのが好きな人間で、中学生の頃には既に小学生に戻りたいと思っていたし、高校生の頃は中学生に戻りたいと思っていた。唯一大学生の頃は「このままずっとこういう環境で暮らしていきたい」と思っていた。社会人となった今は、無論、大学生に戻りたいと思っている。演繹的に考えるならば、数年後に別の部署で働く自分は「最初の部署は楽しかった、戻りたい」などと洩らしているのだと思うし、将来の自分の後悔を少しでも減少させるためにも、今を生きるボクはそれなりに精一杯生きる必要があるのかな、とも思う。思うだけだけど。