金は鋳造された自由である

しばらく更新を怠っていたので、リハビリを兼ねて。


文章というのは不思議なもので、一人で物思いに耽っている時には脳内で次々と浮かんでくるものの、いざそれを記録として記そうとしてパソコンの前に座った瞬間に、雲散霧消してしまうのである。


そしてそんなことを書いている今この瞬間も、一行毎に何を書こうか悩みながら、少しずつ余白を埋めようとしている真っ最中なのだ。
昨日の夜、寝る前に布団の中でひとり考え事をしていたときには「明日はこんな記事を書いてみよう」とか「この前こんな本を読んだからその感想を書いてみよう」とか色々考えていた訳だが、今日になった途端にこれである。
ブログを始めた当初は「あくまで趣味で始めるものだから無理に書く必要はあるまい」と思っていた訳だが、実際のところ、長文というのは癖を付けないと書けないものなので、ときには義務的にでも更新をする機会でもないと、肝心な時に伝えたいことを文章として表せなくなってしまうということに気付いてしまった。
感情を文章に変換するというのは案外骨が折れる仕事で、けれどもこの行為をあまりストレスを感じずに行える状態は維持しておかないと、いざという時、つまり書きたい事、吐き出したい事が生じた際に、途方に暮れてしまう。
幸い、現在のボクは自分の脳内で処理できる程度の情報量の感情しか扱っていないので、ブログを使って行き場のない感情をアウトソーシングをすることは今のところないのだが、社会というものは意地が悪いもので、どうせそのうち社会人一年目には容易に耐えられないようなレベルの精神負荷をかけてくることは想像に難くない。そういう訳で、このブログが役立つ機会もそのうち現れると思うので、きたるその時までは茶を濁したような記事を何とか書き続けて、ブログ――というよりは自分の筆力――を維持していきたいと思う。