書きたい。書くものがない。

人間の精神というのは摩訶不思議なもので、前日の夜まではブログで書きたいことが多すぎて溺れそうになっていたのに、次の日を迎えた瞬間に書くべきものを何一つとして見い出せなくなってしまうということが往々にしてある。

これをもう少し論理的に説明しようと試みると、個人的には大きく分けて「書きたい時期」と「読みたい時期」に分かれていて、これはインプットとアウトプットの関係でもあるのだが、この双方の時期が重なることが殆どなくて、読書に集中しているタームでは自ずから文章を書き起こす気にはなれないし、逆もまた真なり、である。2つの時期が重ならない期間――ようするに、書きたい時期でも読みたい時期でもない期間――もたしかに存在するのだが、そういうときにはゲームやアニメで暇を潰している。

で。最近は読む時期だった訳で。
お陰様でたいそうに文化的な一週間を送ることが出来たけれど、代償としてブログの更新が滞ってしまった。本を読みながら文を書くのは中々につらい。それはたぶん、読んでいる作家の文体のリズムに自分の文体が侵されてしまうからで、ようするにいつもの文体で気持ち良く書くことがままならないからだ。
というか、たった今も現在進行形でその症状に罹患しているところで、例えば句読点の打ち方とか、言葉のチョイスとか、そういう細かいところで普段の自分の文体を見失っている。けれども冷静になって考えてみるに、今までの自分の文章が思い出すに足る価値を持っているかと言われると全くそんなことはないので、今までの自分とはサヨナラバイバイしてまた一から自分の書き方ってものを探していきたいと思うのだ。


と、ここまで書いてから客観的に文章を見返すと、以前よりも一文の長さが圧倒的に長くなっているように思われるが、先日町田康の本を読んだこととは全く関係ないのであしからず。