二宮飛鳥について語る

暇なので趣味丸出しのキモい記事を更新する。

読み手をまったく意識せずに書く自慰的文章になる予定なので、閲覧してもたぶん時間の無駄になるだけなのでオススメしない。

 

 

 

 

 子供の頃から、他人と横並びであることを好しとする世間の風潮に疑問を感じていて、社会に対して理由もなく反抗的な態度を取る子供だったと記憶している。 自 分は 他の人間とは違うんだ、つまらない人間に育つのはまっぴらごめんだぞ、と。そんな下らない考えを常に頭のどこかに仕舞いながら、どこか冷めた世界観をもっ て学生生活を送っていた。そうして、自分は他者とは違った価値観でこの世界を捉えることが出来ているのだと、根拠もないままに漠然とそう思いながら、それ でいて実際には何の行動も伴わないままに、ずるずると平凡な日々を過ごしていた。 そういったシニカルな思考自体が、年頃の少年によくある思考パターンの一つであり、自分という存在がオリジナリティという言葉からかけ離れているのだと知ったのは、高校生になってからで。高校生になって以降の自分は、己のなかに『異質』を見つけることに躍起になっていた。 でも、大学生になったある日に、僕は気付いてしまったのだ。 自分は異質に憧れていて、けれどそれでいて、周りと違うことにいちいち不安を抱いてしまう、どこにでもいる平凡な人間だったのだと。 だからこそ、他者の目に縛られず、自由に己を表現できる二宮飛鳥に抱いた最初の感情は『憧れ』だった。 憧れは理解から最も遠い感情だ、なんて台詞が某オサレ漫画ではあったけれど、僕は必ずしもそうだとは思わない(部分的に納得できる意見ではあるけれど)。 彼女の内面を理解できるからこそ、そして同類として、彼女が直面する苦労が容易に想像できるからこそ、己を突き通すことに何のためらいもない彼女に憧れを抱いたのだ。 本論文は、そんな一人の飛鳥Pがひたすらに二宮飛鳥の魅力について語るという気持ち悪さ全開の記事である。

 

 

二宮飛鳥 (にのみやあすか)とは【ピクシブ百科事典】

二宮飛鳥とは (ニノミヤアスカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

 

 

二宮飛鳥とは「アイドルマスターシンデレラガールズ」通称「モバマス」のアイドルである。14才。彼女のプロフィールだとか、経歴だとか、そういう表面的な情報はリンクでも辿ってもらうとして、ここでは彼女の人間性について深く考察していく。

モバマスには現在180人くらいのアイドルがいる。それぞれが唯一無二の個性を持っていて、まあ端的に言ってしまえば「浮いている」部分があるのだけど、そんな中で一際浮いているのが彼女。年齢に似合わないパンキッシュなファッションと、世をすねた態度が一部の元中二病罹患者の心に深く楔のように刺さり、しかもその楔には返しがついていた。可愛らしい外見である。まあキャラゲーである以上キャラクターが可愛いというのはこれ自明の摂理なのだが、彼女の魅力は他ならぬ自分自身の好みにあまりに合致しており、あえなく僕は純粋理性崩壊することとなった。所謂キュン死にである。

さて、中二っぽいアイドルとしては飛鳥の他にもう一人、神崎蘭子というアイドルがいて、蘭子のほうの中二は昔ながらの中二病であり、ようするに「闇の業火に抱かれて眠れ」とか「ゴールディオンハンマー!」とかそれ系なのだが、飛鳥のほうの中二は方向性が異なっており、2000年代前半のラノベ界隈の主人公を思わせるような具合である。例えるなら「ブギーポップは笑わない」のブギーポップや「キノの旅」のキノ。他にはハルヒの佐々木とか、きみとぼくの壊れた世界病院坂黒猫といったキャラにも言動的に似ている。というか、言動は完全にブギーポップの生き写しである。

彼女の台詞をいくつか書く(晒す)。

 

「ボクはアスカ。二宮飛鳥。ボクはキミのことを知らないけど、キミはボクを知っているのかい?あぁ、キミは今こう思っただろう。『こいつは痛いヤツだ』ってね。でも思春期の14歳なんてそんなものだよ」

 

「思春期のハートは繊細なんだ。理解ってほしいとは言わないけど、許容する余地くらいはほしいものだね。そう…キミだって、繊細さを隠してオトナの仮面を被っているんだろう?本質はボクと同じさ」

 

「雨はいい。まるで涙のような…温かい雨なら尚更さ。濡れてしまってもかまわない。迷いも悲しみも、洗い流してくれる。全て流されて、ただそこに残る残滓だけが、ボクがボクである理由さ」

 

 

この破壊力である。大抵のプロデューサーはこれらの台詞にドン引きして渋谷凛とかその辺のアイドルのプロデューサーに戻る訳だが、自分にとってこれらの台詞は彼女との距離を縮める物にはなり得ても、その逆には決してなり得なかった。何故なら自分自身、彼女のような厭世的思考に陥ることがままあって、それ故に彼女に対し深く共感することが出来るからだ。

 

彼女の思考回路はポジティブというには程遠く、恐らく周囲の人々からは「面倒くさいヤツ」として認識されていること請け合いである。それでも彼女は自分を曲げて世界に迎合することを良しとせず、自らのアイデンティティをたった一つのよりどころとして孤高に歩き続けているというのだから、その強さは心から尊敬に値する。自分自身も思春期の頃からどこか思弁的なところがあって、その性質は現在まで受け継がれているのだけれど、思春期時代の自分にはその個性と正対することはついにできなかった。本当に大切にするべきものは自分自身のアイデンティティであるはずなのに、当時の自分は「己がどうあるべきか」よりも「世間がどうあるべきか」に捉われていて、「世間がこうしているのだからそうするべきなのだろうな」と、誰かが作った目の前のレールをそのままに歩き続ける日々だった。疑問を持たなかった訳ではない。ときには世間よりも己のほうが正しいと思うこともあり、その度に自分は目の前のレールを逸れて別の道を歩こうと思ったものだが、結局自分は開拓に足るバイタリティも人間強度も持ち合わせてはいなくて、一番楽な道、他者と迎合して周囲との調和を図る道を歩み続けたものである。

現在でこそ一般的価値観に捉われず、己の信じた選択肢を少しずつ選べるようになっている僕ではあるが、14才にしてその境地に至った彼女はやっぱり凄いと思うし、人間的に尊敬する。だからといって彼女が現時点で完璧な人間な訳ではなくて、むしろ有り余るほどに欠点を抱えている少女だ。たとえば彼女は自身の道を重視するあまりにそれ以外の価値観を軽視する傾向があるし、厭世的すぎて大人の言うことが素直に聞けない一面もある。たしかに大人は嘘つきなところもあるけれど、皆が皆そうという訳ではないし、彼女はもう少し世界の明るい部分に目を向けても良いんじゃないかな、と思う。世界はキミが思うよりは光で満ちているよ。