結婚、結婚って何だ

 

最近になって俄かに「結婚」というワードが重く感じるようになってきた。

 

同級生が結婚しただとか、同僚が結婚しただとか、そんなニュースが時折自分の耳に入るたび、「ああもう自分もそんな年なんだなあ、このまま結婚出来なかったら不味いよなあ」なんて考えている一方で、他方では「別に結婚しなくても問題ないよなあ。結婚できないのが怖いんじゃなくて、結婚出来ない自分を社会が受け入れてくれるのかが怖いよ」なんて思っていたりする。

 

ようするに個人的にはさらさら結婚する気なんてないのだけれど(あくまで20代前半の現時点では)、それにともなう社会的評価――端的に言ってしまえば世間の目が気になって仕方がないという訳。

 

 

だって結婚なんていうのは、ベつになにもユートピアでは無い訳で、メリットとデメリットの両方が存在する訳でしょう。

 

メリットとデメリットの両方が存在するからには、人それぞれにメリットとデメリットの大小関係が異なるのも当然の帰結で、メリットよりもデメリットが上回っている人間――つまりは結婚に魅力を感じない人間――だってそれ相応にいるはずだ。

 

そして自分はそっち側の人間だ。少なくとも現時点では。

 

 

 

 

具体的な話をしよう。

 

個人的には、結婚して時間を失うのが怖い。

ボクはインドア派の人間だから、家の中で読書をしたり、ゲームをしたり、ネットで下らない記事を閲覧して時間を費やすのが好きだ。浪費するのが好きだ。

外に出て友人や恋人と行楽や遊山に時間を費やすよりも、家の中でお気に入りの小説を読み返す方が何倍も楽しい。

思い出はカメラに残すよりも、文章として残すほうが好ましい。

自分で書いた文章を後になって読み返すのはとても楽しいひと時だ。

 

人によっては、なんて歪で、無駄な人生の過ごし方なんだと思うだろう。

「部屋の中で自分の世界に籠って時間を浪費するなんて!」

 

でも、価値観というのは人によって異なるモノだから、好んでそういう生き方をしている人もいるんだということは理解してほしい。

だれもが皆、絶景に心を震わせる訳ではないのだ。

 

自分でも社会的に不適合な部分があることは重々承知しているけれど、だからといって性分だから、これは治せるものではないし。

 

つまりは、この辺がネックになっているから、自分は結婚できないと思うし、結婚したくないなあと思う訳です。

 

逆に言ってみれば、この辺の問題を解決できれば自分も結婚に向けて一歩前進できるのかもしれない。

時間を気にせず好きな時に心を通わせられる相手……

 

 

つまり、菊地真ちゃんがさいつよって訳か! ←結論

 

 

 

 

 

 

 

そうしてまた一つ、思考の残骸とも言うべき主義主張の不明瞭な文章が完成してしまった。

自分の書いた文章が物事を解決に導いたためしがないのは気のせいか。

とにもかくにも、何を言いたいのか分からない文章には、それはそれできっと価値はあるのだ。