「書く」という行為

 

書く。

 

書くという行為は、まあぶっちゃけてしまえば非常にメンドウな行為で、ゆえに「話す」という表現行為に比べると日陰者的な立ち位置にいるように感じるのはきっとボクの気のせいではなくて。具体的に言ってしまえば、毎日のようにブログを更新するという行為。これは簡単に見えて実際はなかなかに難しく、しかし何が難しいのかと問われると自分でもよく分からない。けれどももし、「書く」という行為が面倒くさくない表現方法だとしたら、ボクのブログの更新スパンはもうちっとだけマシになっていてもよろしい訳で、逆説的に言って、書くという行為はやっぱり面倒なのだろう。それでもボクは文章を書くことは基本的にはキライではなくて、まあ例外的にはキライになることもあるっちゃあるのだけれどそれはそれとして、書くという行為の最大のメリットは「情報の保存力」にあるのだと思っている。話すという行為はとてもお手軽だけれども、その情報をログとして保存するのは非常に難しい。動画なり、録音なりでログを保存することが出来ない訳ではないけれど、やっぱりそれは手間がかかるし、会話というのは九分九厘は贅肉で構成されていることもあって、情報濃度としては「文字」には及ばない。ボクみたいなパンピー(あれ、もしかして死語かこれ)が未来に向けてログを残そうと思ったら、それは文字という形式を選択するのが正しいのであって、ようするに「書く」行為がどうしても避けられない行為になってしまう。恋愛をして、結婚して、「子孫」というカタチで未来にログを残すことも一般的かもしれないけれど、個人的にはまだ書くという行為の方が面倒臭くないんじゃないか、なんて思ったり思わなかったり。